高知県との県境の町、清流四万十川の上流に宮本さんのほだ場がある。きれいに整列したほだ木の間を縫うように竹が生えており、その葉の間から優しい光が降り注いでくる。「ここは造成して作ったんじゃが、最初は杉を植えとったんよ。でも当時子育てなんかで忙しくしておって、手入れをほとんどようせんかったら竹が生えてしもうた」と笑う宮本さん。怪我の功名とでも言うべきか、適度な湿度を必要とするほだ場では松や竹が葉から水分を落としてくれるため適しているそうだ。戦後すぐ、16歳で農業に携わるようになった宮本さん。やがて恵まれた6人の子どもを養う為に一旦椎茸栽培から離れた時期もあったが、農業に戻った時には農薬を使いたくないと思うように。以来「椎茸は山に資源がたくさんあるし、農薬がいらんから」という理由もあり、椎茸栽培を中心に行うようになった。今では「芽を切って膨らみ出した時の嬉しさはそりゃあ格別です。これが楽しいんじゃが」と目を輝かせる。まるで我が子を見る父親のように目を細めながら、ほだ木に触れる様子が印象的だ。「どこも高齢化が問題になっちょりますが、わしらぁは戦後すぐに土木で体を鍛えちょったでしょう。だから今でもなんとか天地返しをしたり、原木を切り出したりもできるんです」。とはいえ年齢的には83歳。後継ぎは?と問うと「一軒家に4世代で住んでおりますので、もうすぐ定年になる息子が手伝ってくれるんじゃないかと思うちょります。そういう風に仕向けよりますのでね」と笑う。仕向けているのではなく、愛情を注ぎ椎茸を育てる楽しさを背中で見せているからこそ、宮本さんちの椎茸が途絶えることはないのではないだろうか。